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京都市伏見区 戸建一覧

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京都市伏見区
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醍醐大畑町 中古戸建の画像
3LDK

98.74㎡

中古一戸建醍醐大畑町 中古戸建

選択
1,380万円
徒歩14分 築53年
木造
56.79㎡

・地下鉄東西線小野駅徒歩約14分 ・カーポートあり、2階建のお住まい♪ ・両面バルコニーにつき風通し良好!! ・前道約5.0m、閑静な住宅地♪ ・閑静な住宅地です!!

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東菱屋町 中古戸建の画像
3DK

39.98㎡

中古一戸建東菱屋町 中古戸建

選択
1,499万円
徒歩13分 築46年
-
木造
48.66㎡

・2022年7月リフォーム履歴あります!! ・京阪本線伏見桃山駅まで徒歩13分です!! ・全居室6帖以上の3DKの戸建です♪ ・北西角地の為採光良好です♪ ・徒歩圏内に生活関連施設が充実してい...

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京都府京都市伏見区近辺の画像

京都府京都市伏見区エリア情報
『日本書紀』に「深草屯倉」とその名前の現れる深草では、京都盆地の中でもいち早く水稲耕作が始まり、稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社が渡来系豪族の秦氏によって創建される。桃山のかつて巨椋池を一望する観月の名所であった指月には、平安時代に橘俊綱が伏見山荘を構え、のちに栄仁親王に始まる伏見宮家代々の相伝地の伏見荘があったが戦国時代に荒廃する。

そして安土桃山時代、豊臣秀吉によって伏見には中央政治都市が確立する。秀吉がこの地で生涯を閉じるまでの間に伏見城と大名屋敷群が整備され、淀川沿いに西に広がる傾斜地の大手筋を軸として、東の六地蔵から西の三栖、北は深草の七瀬川付近、南は宇治川対岸の向島までも城下に取り込み、大きさは東西に約4km、南北に約6kmという広範囲に城下町・伏見が形成される。また、徳川幕府初期にも伏見城下には最初の銀座が置かれ、徳川家康から三代家光までの将軍宣下も伏見城で行われるなど幕府の政治拠点であった。

伏見城廃城後も上方郡代や伏見奉行が置かれ、淀川水運の重要な港町(伏見港)・宿場町(伏見宿)としても栄えるなど、昭和初期までは京都とは独立した別の都市であった。幕末期に、坂本龍馬をはじめとする討幕の志士たちが活躍した地としても知られる。京都との間は街道や高瀬川で結ばれ、特に京町通につながる伏見街道(直違橋通)には墨染から五条通まで家屋が途切れることなく続いていた。明治には鴨川運河や鉄道も早期に開通し、各地から京都への物資を運んだほか酒造などの産業も盛んであった。

1931年(昭和6年)に京都市に編入されて誕生した伏見区には、深草・伏見以外にも、淀藩の城下町として栄えた淀や、醍醐寺が建つ醍醐などの地区が含まれ、以後は周囲も市街地化が進む。京都市の11区の中でも最多の人口を擁し、城下町の伝統を受け継ぐ商業拠点である一方、ベッドタウンとしての性格を持ち、「京都の郊外」という色も濃くなっている。西部や南部は淀川水系の低地、中央には東山から続く稲荷山や桃山丘陵、東部の山間部は滋賀県境まで続いている。

なお、伏見城のあった桃山の地名は、織田・豊臣政権期の時代区分「安土桃山時代」や、その文化「桃山文化」などの呼称の元となっているが、江戸時代の『伏見鑑』が発行されたころから固定・広まったとされている。現在は住宅地としても利用されているが、大部分は桃山御陵の広大な緑地が広がり、酒造に用いられる豊富な伏流水の水源となっている。

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